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安田牛乳ルーツ

新潟県酪農発祥の地「安田」安田牛乳シリーズのルーツ

 

安田牛乳イメージ

新潟県の酪農の先覚者たち
(図鑑 にいがた歴史散歩〔豊栄・北蒲原1〕より抜粋)

明治四十年(一九0七)ころ安田町保田の旗の美乃里はツベタに牧場を開いた。美乃里は明治八年に安田町に生まれ、東京専門学校(早稲田大学の前進)に学び、北海道開拓に参加、二十三歳のころ林業視察のためヨーロッパを回り、先進国の食生活に接して酪農に関心を持ったといわれる。牧場開設直後の明治四十二年、新潟県第一回畜産共進会に雇人波多野留蔵の名でエアシア種を出品して第二位となり賞金七十五円を得た。当時の留蔵の年給金は十五円から二十円であったという。牧場の最盛期には乳牛六十四頭、馬は種牡馬が主で明治天皇下腸のカバヤマ号はじめ十数頭おり、毎年三、四頭の軍馬を納めた、さらに羊が数十頭、豚は種豚が主で十数頭、養鶏は新品種ばかりで七面鳥もいた。乳製品も製造し、バター・チーズは東京や新潟、会津若松に販路があり陸軍省にも納入したこともあった。しかし、美乃里の経営はあまりに進歩的であったため時流に合わず、ツベタ牧場は失敗に終わったのである。ツベタに始まった酪農は、この後牛乳販売業者とこれにつながる牛飼い農家が各地に点在して乳牛の姿をわずかに残した。下越酪農の創始者小野里誠助は明治二十七年(一八九四)安田町無野瀬に生まれた。加茂農林から中央大学に学び、日立鉱山から津川農学校へ転じ教師となったが、わずかにして郷里に帰り六野瀬の青年会長となった。六野瀬は耕地が少なく、ダシの風の吹き荒れる所で、昔から出稼ぎの村であった。このような状況で、誠助は、しばし青年有志を自宅に集めて村の将来を論じあった。この集まりの中から乳牛の導入による農村振興を目ざし、同志による組合設定をすべきだとの声が高まってきた。誠助の父兵助は六野瀬二十日信用組合を組織する実力者であった。この兵吉の助言で青年会発議の組合は、法人組織として各戸主名義で六野瀬畜牛販売利用組合として発足した。実際に活動するのは青年たちであったが、当時の家族制度では親父の権限が絶対だったのである。資本金三000円、一口三十円。大正九年(一九二0)六月、県の認可があり正式にスタ−ト、乳牛七頭、一口三斗の集乳であったという。誠助は私財を投げうって酪農振興にかけ、地区民もこれに協力し、昭和十六年(一九四一)には明治乳業と提携して、北海道から多数の乳牛を導入、安田町地区はもとより旧分田村、東蒲原郡の下篠村まで基盤を広げて、下越酪農協同組合として飛躍したのである。


 図鑑 にいがた歴史散歩〔豊栄・北蒲原1〕 
 昭和五十九年二月二十五日   初版発行
 編者 新潟日報事業者出版部  発行所 新潟市白山浦二丁目六四五番地五四

安田牛乳新鮮菓子の商標は、
明治乳業様、下越酪農協同組合様のご協力の基で当社が取得させて頂いております。
H11年 商標登録 第4299055号 商標権者 (株)浅草屋フーズ


参考: 新潟の米どころ【魚沼地方】と酪農の関係

本当の新潟県酪農発祥の地は「長岡」だった?!

酪農の様子 <日本一の米どころ>新潟県魚沼のこしひかり米と酪農
 新潟県の酪農は、長岡の「近藤氏」が明治13年に酪農業を興したのが元祖で、その後酪農業が発展的に栄えた安田町が「新潟県酪農発祥の地」とされています。米どころ魚沼地方の酪農も明治時代から存在し、一時代には安田町に次ぐ「酪農の村」といわれ「日本一の米造り」と共に今も豊かな自然と熱心な酪農家のたゆまぬ努力が育んだ生乳を産み出しています。前述の歴史に加え、新潟独特の気象、肥沃な土壌、豊富な水など(八海山や魚野川などの自然)の豊かな自然の中で造りだされる「こしひかり米」や「魚沼の新鮮牛乳」は絶品です。


「新潟の米ものがたり」(新潟日報事業社出版)、新潟県畜産誌(平田孔版タイプ社出版)など参考  

 

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